気管切開と胃ろう 4.回復へ

このお話は2011年(平成23年)1月から3月に経験した過去の出来事。
しかし、生きていく上で決して忘れてはいけないことだ。
忘備録として記録することにした。

スポンサーリンク

経口摂取

40日ぶりの”甘露”
今まで、1日の吸痰の量が1,200ccあったのが、半分に減った。スピーチバルブを付ける前の吸痰の時間も短くなった。
今までよりも大きな声が出るようになった「この勢いでお茶を飲んでみましょう。」と、言語聴覚士さんから意見が出た。「早くない?これ、たまたま今日調子がいいだけで・・・。」と思った。
でも、これを逃したら、チャンスは何時来るかわかんない。

スプーンですくったたった一杯のお茶。
ドキドキしながら、唾液と一緒に・・・・エイって!飲み込んだ!

口の中に入れた時の”甘露”のおいしさと薫り。
お茶のおいしさを改めて感じた

車椅子に乗車
リハビリの人とエレベーターに乗り、院内のドトールコーヒーとローソンに行った。
今はまだ、スプーンでお茶を2杯飲むだけで、何も食べられない。
でも、何時か必ず食べられるものを増やしたいと思った。

アイス
午後から喋る訓練で、スプーンでお茶を飲んだ。
リハビリの出来事を話したら、担当看護師が、「いけるんちゃう?」と言って、冷凍庫からハーゲンダッツを持ってきてくれた。

「病棟の冷凍庫に余っているやつだし、口の中ですぐに溶けるから ”いいよ!’」って。びっくりした。スプーンで5さじ食べることができた。
久々に食べたアイスは、とても濃くて美味しかった。
こんなに早く1品目クリアできるなんて!自分が嬉しかった。

担当看護師さんに感謝!

ハードな日々

医師、看護師、理学療法士、言語聴覚士の人たちが、僕のQOLを上げるために、毎日新しい計画を立ててくれる。
実際に回復が目に見えるのでとても嬉しい。
しかし、午前、お昼、午後、夕方と新しいチャレンジの連続。毎日がヘトヘトだ。

3月の計画

担当看護師から、「3月第1週が終わるけど、伊藤さんは、こんな予定で行きたいといった計画がありますか?」って聞かれた。
「たぶん、今月の22日か28日には鈴鹿病院に転院になると思います。それまでに量は少なくても一品でも多く食事ができること長い間喋れるようになれたらいいなぁ。」と答えた。
担当看護師は、「そんなに早い段階で転院ってあるかな?もっとユックリだと思うよ。」と言われた。
ユックリだといいんだけどなぁー思った夕方担当医から「3月14日に、鈴鹿病院への転院が決まりました。」と連絡があった。

14日!!! 

元気になった証拠だけれど、自分の予想よりも1週間も早い。
こんなに早く転院が決まるとは思わなかった。 

3/7.回復計画

一週間後に鈴鹿病院に転院することが決まった。
この期間で一つでも出来る事を増やすことが大事だ!!と思い自分の回復計画を立てた。

 ①夜間の呼吸器を外す。できれば呼吸器からの離脱。
 ②スピーチバルブを付けて長い時間喋る。午前と午後2時間ずつが目標。
  できれば、朝9時から夜9時まで連続。
 ③車椅子に長時間座ること。2時間が目標。できれば4時間。
 ④1品でもたくさんの食品を食べること。豆腐、茶碗蒸しが目標。
  おかゆが食べられたら最高。

昼から車椅子に乗って30分のリハビリ。その後、3ヶ月ぶりに散髪をした。丸坊主にしてさっぱりした。
くりくり坊主頭を見て、めっちゃ若返ったねって、みんなから言われた。
今日は午後1時から午後9時の就寝まで、スピーチバルブを付けることができた。

3/8. 目標に向かって

エレベーターバスに入るのもずいぶん慣れた。とても気持ちが良い。
その後、ベッドに入って、呼吸器を付けて2時間爆睡。

午後、背中にバスタオルを敷いて、看護師さん総出で、「ワッショイ!」って抱え上げ自分の車椅子に乗せて貰った。
やっぱり”マイカー”は、しっくりする。

1時30分から、エレベーターに乗って1階のリハビリ室に行って、施術した。
2時30分から、病棟詰所で車椅子で乗車待機。
以前のように、背もたれを立てて座ることはできないけど、わりと長く座ることができた。
4時からベッドで、言語聴覚士さんと喋る訓練と食事の訓練。
エンゲリードというゼリーを食べた、「14日に鈴鹿病院に転院することが決まったから、それまでに喋れる時間と食べられる食品を増やしたい。」とお願いした。
この日は調子が良くて、連続1時間30分、スピーチバルブを付けて喋ることができた。

明日から、具無し茶碗蒸し・ヨーグルト・おかゆをお昼ご飯に出して貰って、食事にチャレンジすることになった。

口腔ケア

看護師さんから、
「呼吸器を、長時間外しているんだね。がんばってるねぇ。在宅生活に戻った時には、歯磨きをしっかりするんだよ。ご飯を食べた時と寝る前は、特に注意するんだよ。ご飯の食べかすや風邪の菌を洗い流さないと、また大きな肺炎を起こすよ。あなたなら、必ず在宅生活に戻れるから、頑張ってね」っとエールを頂いた。
挿管中に思いっきり喧嘩をした人だったので嬉しかった。

3/10.依存からの脱出

担当看護師以外の話や看護を拒否している自分がいる。
担当看護師に依存しているのだ。
長い時間看護を受けているし、いろいろなことを相談しているから、まぁしょうがないんだけどね。
転院や在宅生活では、いろいろな人の介助を受けなくてはいけないこの依存をなくすことも大きな課題だと思う。
1日の痰の量は、600ccに減ってきた。吸引回数も減ってきた。
体調は良くなってきている。

3/11. 東北大地震

車椅子に乗る訓練は今日が最終日。
今日は午後1時30分から車椅子上でリハビリを行い午後5時まで乗る計画だ。

午後2時30分には詰め所で待機していた。
その時、車が横揺れする。最初は、誰かが当たっているのかなぁって思ったけど、ものすごい長い時間の揺れだから「地震だ!!」って分かった。
テレビのニュースで知ったけど、東北からの地震がここまで揺れるなんて。

この日は、痰が絡んでいたので、お昼ご飯は中止!

喋る訓練は午前11時から午後5時まで6時間喋った。
呼吸器は、朝方1時間だけ付けた。

3/12. 3/13. 呼吸器からの離脱と休日

土日の日勤スタッフは3.5人。さすがに人が少なくてベット上での生活。

今日の計画は、
呼吸器を丸1日外すこと、ご飯を食べること、長時間喋ることが目標。
担当医は土曜日の夜勤と聞いて夕方から呼吸器を外しての生活を始めることにした。担当医がすぐそこにいるのは安心する。
看護師さんが「呼吸器の設定は(0)に近いよ。」って言うけど、焦らず夕方まで待った。
呼吸器を外してしまえばどうってことないけど、もう呼吸器はつけないそれには大きな勇気が必要だった。

3/14. 転院

転院する日がきた。
ストレッチャーに乗って準備を済ませて、担当医と担当看護師と共に病室を出た。

EVの待ち時間、たくさんの看護師さんからたくさんの声をかけて頂いた。
自分はストレッチャーに乗っていてあんまり見えなかったが、この日全ての勤務の人に声をかけて貰ったと思う。嬉しかった。

担当医と共に病院の公用車に乗車して三重大病院を出発した。
後ろの窓から担当看護師が見えた。
彼女は車が見えなくなるまで、ジャンプをしながら手を振ってくれた。
ドラマのようだった。
体が良くなって退院するのは初めてのことで、胸が熱くなって号泣した。ありがとう。担当看護師の森井さん。この気持ち忘れないよ

同乗した担当医が「伊藤さん、友達が多いですよね。お見舞いにも沢山の人が来てくれるし、病棟を出発する時も、あんなに沢山の看護師が声をかけて見送ったりする事ってあんまりないよ。っていうか、初めて見ました。」
みんなに支えられた3ヶ月だった。また、泣いた

次の病院でも頑張ろう

コメント

タイトルとURLをコピーしました