7/20.三重大学のゼミ

私は障害者。 障害名は遠位型ミオパチー。 進行性の筋力疾患
神経は正常であるものの、自分で動かせるのは目と口だけだ。
この身体状況で病院を退院して、自立生活を始めて10年が過ぎた。

一か月以上前の出来事だが記録として示します

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出会いは2010年

20日三重大学のゼミでゲストスピーカーとして講義を行った
ゼミ開催の先生とは10年ぶりに再会した

2009年、古い借家にて一人暮らしを始めた時、大学一年生グループと出会った

2010年7月17日
学生7人と借家にてコロッケパーティーを開催した コロッケ(2種類)、ナス、アスパラ、チクワ、ホタテ、唐揚、フルーツポンチ数多いメニューで驚いた。 コロッケづくりは、予想よりも時間がかかった、その分、味は絶品だった!

2010年12月13日
学生11人とともに鍋パーティーを開催した
豆乳鍋、カレー鍋、塩豚、キムチ掛ける2、全部で5回
そのたびにラーメン、うどん、雑炊とシメをした。もう満腹
カレー鍋にソーセージを入れるか入れないかで盛り上がり記念すべき41歳を迎えた

当時の私は何でも食べ放題。学生はみんな個性豊かで食事とお話はとても楽しかったこと覚えている
その時、1人の女子学生とアニメの話をして盛り上がった。その時の学生が先生となり、僕を呼んでくれたんだ。嬉しいよね
パーティーの数か月後、体調崩して気管切開することになった
落ち込んでいた自分に1年生グループは色紙を作って励ましてくれた
今も大切な心の1ページだ

彼女は先生になり、私は今も在宅生活は続いている
10年という時間は感慨深い

母親からの自立

話のメインは母親からの自立
私は23歳から16年間入院生活を送った
入院していた期間、母親は毎週日曜日、病院に面会に来て世話をしてくれた
入院生活最後の日曜日。別れ際に母親が言った

親は子供を入院させた責任もあるから毎週病院にも通った
でも、今日で病院に来るのも最後
これからは自分が選んだ人たちになんでも頼みなさい
困ったからって私を呼びつけないで
二度と呼びつけやんといて
初めて自分の人生を選んだ事だと思う。体を大事に生きていきな

そう言って病院を去った

ショックだった。自分はやっぱり障害者
あれこれ言ったって、どこかで安定も望んでいる
自分は何てことしたんだろう。親とは離れたくないと思った
と同時に
生きるってこういうことなんだ。と実感した瞬間だった
この出来事で親も子供も自分を取り戻したんだと思う
今は感謝している

梅雨が明けて

梅雨が明けていきなり暑い。
福祉タクシーの予約が取れなくて徒歩で移動。
めちゃくちゃしんどい。帰りは路線バスの利用。
ぴったりの時間があって助かった

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