出会い

障害名は遠位型ミオパチー。 進行性の筋力疾患
神経は正常であるものの、自分で動かせるのは目と口だけだ。
この身体状況で病院を退院して、自立生活を始めて10年が過ぎた。
今回はボランティア Fさんを紹介したい

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出会いは

Fさんは左後ろの女性、私は左前列

病院での夏祭りイベント
当時私はくじ引きのコーナー担当した。その時手伝ってくれたボランティアの中にFさんがいた。この時は特に印象はなかった

神様だと思った

2007年6月
ボランティアグループ「スマイル」のリーダーで、毎週木曜日病院で患者さんの生活活動(焼き物、伊勢型紙、手芸など)の手伝いをしていたんだ。
名古屋で開催される患者会に出席するか???迷い迷いしていると、ボランティアFさんが「ダメ元で社協にボランティア募集をかけてみたら???いるかもよ」とアドバイスをくれた。
天邪鬼だった自分は素直に意見を聞き入れ行動した。すると本当にその通りになった
この時Fさんは神様だと思った。

ふれあい広場と署名活動

2008年10月11日
ふれあい広場は鈴鹿市で行われる福祉イベント
当時私は病院に入院中。制限がある中でも難病指定の署名活動を行っていた
F さん率いるボランティアグループスマイルの協力でふれあい広場での署名活動を行うことができた
13時から14時半まで活動を行い。752筆のお名前を頂戴した
皆様に感謝

2010年10月16日
2回目のふれあい広場に参加
この時は在宅生活が始まっていた 電車と徒歩での移動に苦労したことを思い出す
イベントは音楽に踊りに飲食と盛り沢山
Fさん率いるボランティアグループスマイルも活発に参加
積極的にチャレンジをする方でFさんを尊敬しちゃいます

講演活動

鈴鹿医療科学大学大学で2回の講演活動を行った

2009年12月8日
ボランティアFさんと共に福祉タクシーに乗って大学に向かった
授業は午前9時から10時30分まで、私とFさんで半分ずつしゃべった
私のお題は障害のこと、一人暮らしを始めようと思ったか?
Fさんはボランティアのことを話をした
60人の学生を前にして緊張した、頭の中の原稿全てが吹っ飛んだ
Fさんサポートを受けて、少しずつ落ち着きを取り戻した
最後のフォローも含めてありがとう

2010年12月24日
今回もFさんと自宅で合流して大学に向かった。
大学に到着すると学生が出迎えてくれて驚いた

お話の内容は障害者になった時の気持ち、高校の友人との関係、沢山の人との出会いと可能性、チャレンジする勇気、周囲の雑音に負けない努力、在宅生活でよかったこと、について話をした。2回目は少しうまくいったと思う

話し終わってから、新しい夢は?社会福祉の問題点?やってみたいことは?いろんな質問を受けました。
自分の話をちゃんと聞いてもらったんだなぁ。って思った。

人生最大のピンチを助けてくれた

2011年2月6日
ボランティアのFさん夫婦が三重大学病院病院に面会に来てくれた。
今回の入院中に、時々顔を見せて、携帯電話のチェック、友人への連絡、アパートの冷蔵庫とゴミ処理、郵便物のチェック50音盤も作ってくれた、自分では気付かないことばかり。いろんなことを救ってくれた
しんどい入院生活の励みになった。やる気になった。感謝。

病院の友達

2016年7月26日外出
ボランティアのFさんと共に病院の友達に面会に行った。
病棟で生活する友人に会うのは1年ぶり。邪魔にならないように昼休憩の時間に覗いた。ほんの少しの時間でも、気持ちを切り換えができればいいなと思う

Fさんの元気な顔をみてお話すると、忘れている事を思い出し、私の心が自然と心が整えることができる人だ

応援してくれる人

共に活動したのは上記が最新だったと思う。今もFさんはブログを確認し折に触れてメールも送ってくれる。応援してくれる人がいるのは何よりも張り合いがある

頂き物

季節の折々に触れてボランティアのFさんが訪ねてきてくれた

2009年8月19日
退院祝いを頂いた。お祝いという文字に気持ちがとても熱くなりました
2回目の退院祝いはさすがに申し訳なくて心が痛かった

2010年4月24日
タケノコご飯、かしわもち
Fさんから病院でのボランティア活動も縮小されることを聞いてがっかりした。

2010年6月5日
釣りたてのアジの刺身、手作りのおから、デザート

2010年9月18日
新米

2017年6月11日
鈴鹿のタウン誌p.20に私とボクサー浜口くんのエピソードが掲載されていると連絡があり、お家に届けてもらった。
ベトナム土産をいただいた。手触りもよく使いやすい小銭入れだ大切にしたい

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