京都ALS患者さんの事件

テレビのニュースからALS患者の女性(51)から依頼を受け薬物を投与し殺害したとして、嘱託殺人容疑で医師2人が逮捕されたことを知った。

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共通点

私の障害は遠位型ミオパチー。遠位型ミオパチーは進行性の筋肉疾患。
現在の私は体を動かせない食べられない状態だ。
彼女と年齢もよく似ている。一人暮らしと私との共通点も多い。

障害の受容

進行性の難病は発病後体が動かなくなる自分を受け入れ続けることに苦労する。自分自身も通った道だからよくわかる。
中途障害者は元気な時を知っている。何でもできた自分を知っている。
自分の障害を受容することは並大抵のことではない。

彼女は頑張っていた

彼女は一人暮らしをしていた。立派なことだ。
在宅生活で医療チーム、介護チームを整えることは大変なことだ。
両方のチーム共に間違いないケアを継続するには、本人がコミコミュニケーションを一生懸命取ることが最も重要だ。
時には自分を押し殺して、折り合いという名の妥協の連続だったと思う。
一にも二にも絶え間ない努力がないと成り立たない。
彼女は頑張ったと思う。
施設ではなく在宅生活を送っていたことが何よりの証拠だ。
それでも彼女は死ぬことを選んだ 。

生きたいと思うには

死にたいをなくすには生きたいと思うしかない。
しかし、生きたいという気持ちは大きくなったり小さくなったり時々において変化する。
常に生きたいという気持ちを持つには
夢や目標、役割が必要だ。 家族の役割や恋愛も重要な要素だ。

人からアテにされること。期待されること。
物事に取り組む集中力や緊張は気持ちがいいものだ。
人は息をしているだけじゃダメなんだ 。
どれだけ重度の障害があっても、夢や目標を持てること。
どれだけ重度の障害があっても、期待や役割を感じる社会が必要なんだ。

もし彼女が社会からの期待を得ることができたら?
違う結果になったかもしれない。
そう私は想像する。

映画とテレビ番組

映画のミリオンダラーベイビーを思い出した。
女ボクサーの映画だ。
映画の中の彼女は尊厳死なのか?安楽死なのか?自殺なのか?よくは分からない。
だけど彼女が死を望んだ気持ちを否定したくない。

2019年 NHK で安楽死の番組を見た。
難病に耐えられずスイスに渡り安楽死をした女性のドキュメント番組だ。
最後の瞬間は決して楽しそうには見えなかった。

今の私は

私は気管切開、胃ろうになってから恋愛をした。
いくつかの学校に出向き学生に話しをしている。
認知症の母親を助けるのも私の役割だ。
これらがあるから、生きたいと思うのだ。
今の私は安楽死は選ばない。

それとは反対に
自殺を選ぶことができる人。誰にも迷惑をかけずに自殺できる人が羨ましい。と思うことが時々ある。
京都の女性が選んだことを否定はしない。
でも、今の私は安楽死は選ばない。

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