父の他界 2.原風景と父と弟と

このお話は2017年(平成29年)3月から2018年(平成30年)1月に経験した過去の出来事。
しかし、生きていく上で決して忘れてはいけないことだ。
忘備録として記録することにした。

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10/12.自分は非力だな

父親がまた入院した。今回は3階の病室。
突然父親から電話があった。
「おはよう。元気にしてる?どうかしたん?」と聞いたら、
「どうかしたん。と違うやろ!俺の事をどう思っているのか?」といきなり怒られた。
機嫌が悪かったのか聞き方が悪かったのか反省だ。

父親もなかなか退院出来ません、サ高住の名前がコロコロと変わり、特養も浮上して、退院後の行き先が決まらず落ち着きません。
父親への不安は大きくなる一方だと思います。

この土日も雨のようです。
21、22日も予定がありまして、
なかなか父の顔を見に行けそうにありません。
自分は非力だなと思います。

父と弟との関係

怒っていた理由は、ひょっとしたら弟のことだったかもしれません。
弟と父親はもともと疎遠で何十年も連絡を取っていません。
この期間で、弟は私と同じ病気を発病し、結婚もしました。娘も生まれました。
車椅子を利用し、妻の実家で生活をしています。
現在は白血病も併発しています。

弟は「父親が自分の現状を知ると、ショックを受けるから父親には伝えなくていい」といいます。
父親が弟の生活状況をどこまで知っているか分かりません。
弟の意見は無視して、 弟家族との写真を見せながら、今までの経緯を説明した方が良かったかもしれません。
どうしたら良かったのか後悔だけが残ります。

12/2.父親の見舞い

父親がまた入院した。2階の療養病棟。
体調が悪いわけではない。次の行き先は決まらず、入院が長引いている。
やる気もなくしてメンタルが下がり、昼間は院内のフロアと病室をうろうろとし、夜中は叫ぶこともある様子。先の見えない入院生活だ。
そんな中、今日、見舞いに行ってきた。

父の言葉ははっきりしているが、目をつぶったままで、会話のつじつまはあわない。
コンビニで買った「笹かまぼこを食べるかい?」って聞いたら「食べる」と目を開いて答えた。父の顔に安心した。
かまぼこは細かく切って、和え物に混ぜた。
看護師が食事介助すると「これはうまいわあ!」と一層目を丸くしてパクパクと食べた。
病院食以外は体に悪いけど、この表情が一番だ。

食事介助のとき父親に入れ歯も入れず、次々と口に放り込んていた。
階によって雰囲気はずいぶん違うことに気が付いた。
あんまり良いところじゃないな。

食後、疲れたのか?眠りに入り目が覚めない。やっぱり体に負担がかかったのかもしれない
せっかく来たから、しゃべった方がいいのか?本人が楽な方がよいのか?
悩みながら、電車の時間がきて病室を後にした。
近いうち、必ず顔を顔を見に来ると心に誓った

原風景

見舞いの帰り道、電車の車窓から父の実家が見える。
幼稚園から24歳まで、家族と友人と共に青春時代を過ごした場所。
自分の原風景だ。
父はもう家に帰れる状態ではない。僕もこの家に足を運ぶことはないだろう。
忘れないように、よく目に焼き付けておこうと思った。

1/13.カチン!!ときた。

2階の療養病棟に見舞いに行った。
病室に入ると父は口を開けたまま眠りっ放しで、ベットを動かしても、声をかけても微動だにしない。
ご飯は配られてきたが、30分…40分…と時間が経過するが食事介助に来る気配が全くない。
「父親の食事はまだですか?」と看護師に声をかけると、
「本人が寝てばかりで、食事を進めても拒否が続いています。
現在点滴が入っていますし、意識レベルも下がっているので、食べない方がいいと思います。」との返答。

カチン!!ときた。

「食べるか?食べないか?父に聞いてください。本人に聞きもせずに、どうせ食べないから。と判断するのは、そちらが拒否している。って事ですよね。」と言い返した。
なくなく看護師は声をかけると、
父親は「ご飯食べる。焼き芋食べる。」と言いました。
全く起きなかったのに、目を開いて「美味しいわ。」と張りのある表情と声で、ご飯をパクパクと食べた。
今日見舞いに来て良かったなと思った。

看護師はご飯食べるんだ。家族が来ると違うんだ。
呟きながら食事介助しました
元気そうに見えるけど父の状態が良くないのだ。
入院中に僕の知らない一面があることに気がついた。

帰り際、キャラメルが食べたいと言った。
キャラメルはおそらく1階の売店に売っている。
しかし″今日は焼き芋を食べたし、次でいいんじゃないか″と自分中心の理由をつけた。帰りの時間も迫っていたが、ほんの少しめんどくさいと思った。
父には「2週間後持ってくるから」と病室を後にした。

桜町の特養

1月16日病院を退院して桜町の特養に移った。
自分が元気な時から希望していた特養でよかったなと思った

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