父の他界 1.肝硬変

このお話は2017年(平成29年)3月から2018年(平成30年)1月に経験した過去の出来事。
しかし、生きていく上で決して忘れてはいけないことだ。
忘備録として記録することにした。

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3/15.父が入院した

3/15水曜日、おばさんからの突然の電話があり、父が入院した事を知った。
3/18.菰野厚生病院までお見舞いに足を運んだ
お父さん調子が悪いのに、話もしてくれた。
おばさんも病室に来てくれた。主治医から直接聞いた話では
肝硬変で余命1ヶ月。これから検査するけど、おそらくがんもあると思う。80才だから、延命はしない。との事。

3月5日の日曜日、父はアパートまで来て、いつものように胃ろうから梅酒を入れてくれた。その時、父の顔色が黒かったし、最近はなにもやる気がない。便秘で困ってる。て言っていた。
でも、80才だから、年齢のものと思ってた。
調子悪そうだったから、早めに家に返したんだけど、
まさかこんなに悪いとは…
なぜ、病院に行くように、声をかけなかったのだろう。

父は「医者のいう事を聞いて、1日でも長く生きれるように頑張ります。」って言ってた。
涙しか出てこない。

周りの人は、80才だから仕方ないよ。
延命してもつらいだけだよ。と言います。
分るんだけど、心が割り切れない。今、僕にできる事は何だろう?

4/05. IgG4関連疾患

肝臓の病気で、治らないのであれば少しでも気分転換にと思い、駅のコンビニで父がで好きなチョコレートを買った。
何粒か美味しそうに食べた。買ってきてよかったと思った。

主治医と話をすることができた。
詳しい検査の結果、IgG4関連疾患と判明した。
免疫異常の病気で高齢の男性に多く、がんと間違われやすい。薬を飲み続ければ、体調は安定するそうだ。
今は順調に回復し、あと数週間で退院の見込みだ。
しかし、重度の肝硬変に変わりなく状態は厳しい。
もうちょっと早く検査をしていればよかった。
今までお父さん体がしんどかったと思う。と先生は言った。
余命1ヶ月と聞いた時は驚いた。
正確な病名を発見した主治医に感謝です。

4/29.自宅に外泊

父がゴールデンウィークに入院先から実家に外泊をした。
私もスケジュールを調整して四日市の実家に足を運んだ。
福祉タクシーに到着すると、家から出てスロープを準備してくれた。
気持ちは嬉しいがゆっくり体を休めてほしい。

実家は築40年。5月でも13時を過ぎると日差しが無くなり、家の中は寒い。
父は電気ストーブの前で震えていた。病院とは違う。

本人は頑張って建てた家だから家で暮らしたい。と言うけれど
家の周りは田んぼばっかり、自然しかない実家での生活は無理だと思った。
父が引き出しから、家の増築中の写真を出した。
自分の小学2年生の時で、弟と二人で掃除の手伝いをしている写真だ。
父が撮影した写真で僕もよく覚えてる。とても懐かしい。
子供の頃の家族が一つだった時の思い出。
この写真もらっておけばよかった。

6/10.四日市ユートピアハウス

病院を退院して四日市のケアハウスに入居した。
費用が低価格のこと。
入居の条件は食事、入浴施設は提供されること。
イベントが豊富なこと。
大事なことは
掃除、洗濯、通院など身の回りのことは自身で管理できること。
他の入居者と協調性をとれること
正義感の強い父親なので協調性が取れるか心配だ

8/12.身辺整理

ケアハウス面会に行った。父が神妙な顔で話を始めた。
土地の権利書、預金通帳の場所の説明を始めた。
キャッシュカードと暗証番号のメモを渡された気持ちは複雑だった。

今、父自身の体調が思わしくなく、叔母に少しずつ整理の指示を出している。
自分がケアハウスで生活をしながら、家の中の物を思い出すのは大変だと思う。
そんな中で父は、私が子供の時に作った模型を気にかけてくれたことに驚いた。

写真の模型は
私が小学校6年生の時、お正月のお年玉で買ったプラモデルだ。
子供の頃は、元気で模型づくりが好きだった。
自分の中でうまく作れた作品の一つで、実家のガラス扉つきの本棚に飾った。懐かしい思い出だ。

自分が作ったもので残っているのは、この模型だけだ。
おばを経由して、35年ぶりに手元に届いた。大事に飾ろうと思う。

8/19.正義感の強い父

ケアハウス面会に行った。
案の定父親は正義感が強く、ケアハウススタッフや利用者と衝突している。
最初の頃は食堂での食事場所は一等席だったのに、徐々に端に移動しているから状況は簡単に想像できる。
「世の中の間違いを正す。人の役に立つ」と言いたいことは間違えてはいない。
正義を振りかざして生きづらくなっている。柔軟な気持ちが欲しい。
自分の体のことを一番に考えてうまく生活が続いてほしい。

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