気管切開と胃ろう 3.喋り欲とスピーチカニューレ

このお話は2011年(平成23年)1月から3月に経験した過去の出来事。
しかし、生きていく上で決して忘れてはいけないことだ。
忘備録として記録することにした。

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2/7.喋れない

相手に気持ちを伝えられないことが、こんなにストレスを感じるとは思わなかった。

口には、大きなトーマスホルダーがあたっている。
写真でも分かるように全く口元が見えない状態。
コミュニケーションは看護師が50音盤の文字{あ・い・う・え・お}を順番に指さしをして意思確認をする。
伝えたい文字の時、目を強くつむったり、瞬きで伝える方法だ。 しかし、違う文字が伝わったり、YES・NOが間違ったりして、なかなか思いが伝わらない。

夜の体位交換は、暗闇の中でさらに伝わらない。背中の服の皺を伸ばしたり、両手の指を伸ばしたら、ユックリと眠れるのに。

色々と試した結果、最初に動詞から伝える方法が、少しだけうまくいくことが分かった。
気管切開をする日が、2月15日に決まった。後1週間は長い。

2/9.十二指腸潰瘍

下血が続いて、ヘモグロビンの値が6になり輸血が始まった。
輸血が終わると9に上昇するがすぐに下血。 そして6に戻る繰り返し。
コミュニケーションがうまく取れなくて十二指腸潰瘍になった。
こまめに面会に来てくれる父親に常に八つ当たり。
それでも受け止めてくれる父親に感謝
2/13.胃潰瘍の処置
輸血をしても状態はいっこうに良くならない。
担当医から「胃潰瘍の処置を行うには、気管切開をした後に行うのがベストです。強い抗生剤を投与して体力が低下している時に、胃カメラを飲むこと不安があります。しかし、このままだと命が危ない。」とのこと。
深夜11時に胃カメラチームを呼び寄せて、検査を行うことになった。挿管していて、喉には隙間がない状態。それでも口から胃カメラを挿入して、潰瘍の確認と止血をした。

胃カメラチームのリーダーは、若い女医さん。十二指腸に大きな潰瘍ができていた、止血して終了。処置時間は約1時間。
父は夜中にも関わらず付き合ってくれた。親子で体が良くなりますように。と願いながら眠りについた。

2/15.気管切開

夕方4時半から予定だが?なかなか呼ばれない。
緊張が続いて疲れ、ウトウトし始めた頃にやっと呼びだされた。
手術台に上がって麻酔をかける時、時計は6時30分さしていた。その後は、麻酔で眠りについて、何も分からなかった。

「伊藤さーん!」「起きてー!」「目を覚ましてー!」
声をかけられ目が覚めた。時計を見ると7時15分。思っていたより早く終わった

口元のトーマスホルダーが外れて、唇の動きでコミュニケーションが上手くいくようになった嬉しい!
首から呼吸器が繋がっていることも、首の痛みも意外と平気だった。乗り切りました。

2/23.入浴と胃ろう

気管切開をしてから一週間が経過し、カニューレがスピーチカニューレに変更になった。
担当看護師によると「2ヶ月もすると長時間喋れるようになるよ。」とのこと。

この日から点滴、導尿、モニター、体に付いていたチューブが取れた。
入浴も始まった。前回体を洗ったのは1ヶ月以上前だ。
10階の湯船から見える景色は展望露天風呂だ気持ちよかった!
お昼から、胃ろうを作る手術をした。胃カメラを見ながら開けた方がベストな場所に作ることができる。と説明を受け納得した。
処置時間は短かったけど、胃カメラは痛くてやっぱり苦手。
2/25.経管栄養開始
胃ろうから白湯を流した。冷たさも熱さもあまり感じなかった。
翌日、ラコールを1日1回200ccを胃ろうから入れた。
臭いとか味は全くなくて、あるのは満腹感だけ。
ちょっと、寂しい。

スピーチバルブ

本格的に喋る訓練を始めた。 最初に呼吸器、内筒と順番に外し吸引をした。 すると、痰が次々とあふれ出してきた。
落ち着くまで40分間。とにかく吸引し続けた。
その後、スピーチバルブを取り付けて「深呼吸して声を出して 。」と言われた「今何かしたいことがある。」聞かれて「パイナップルが食べたい。」と答えたこと覚えてる。意外な答えに皆驚いてた。後は何を喋ったか覚えていない。
声は力ないか細い声で、いつも痰が絡んでいる感じだ。息継ぎも難しい。
10分が経過すると痰が酷く絡み出した。吸引しながら担当看護師は「お父さんに聞かせてあげたいな。お父さん頑張ってたから、ぜひ聞かせてあげたいな。明日来るかな?」って 呟きながら呼吸器をつけた。
喋るのは、ただ、苦しい。疲れ果てた。でも、明日も頑張ろう。
紙おむつを交換して姿勢を修正して1時間40分の訓練は終了した。

翌日、父の姿を見た担当看護師が病室に駆けつけてくれた。「今からスピーチバルブをつけようか、お父さんにも声を聞かせてあげなきゃ。」とリハビリが始まった「お父ちゃん聞こえるかい。ようやく喋れるようになったよ。」って一生懸命声を出した。父親の満面の笑みは一生忘れない宝物 。
父の気持ちもケアしてくれた担当看護師の気持ちに感謝だ。

繋いだ命!一生懸命生きたい!

今日も夕方からスピーチバルブ゙のリハビリ。
昨日よりも苦しくて、喋れる時間は短かった。準備とその後の紙おむつ交換と姿勢の修正で1時間半かかった。 苦しくて、もう止めたい気分。

担当看護師は、この日、夜8時過ぎに「さよなら」って、手を振って帰っていった。
「残業は大変だなぁ」と、ふと思った。
これって、僕の1時間半が、そのまま押したのかな?って思った。考えてみると、スピーチバルブのリハビリ中付きっきりだった。

在宅生活に復帰したい気持ちを1番に考えて、残業とか関係なく、惜しみなく時間を費やしてくれる看護師がいる病院だということに気が付いた。
この場所で、少しでもできることを増やすことに頑張ろうと決めた。

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